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「さあ、くはしいことは判りませんね」
「いや、これから往診に行くところだ」
「ふむ、ふむ」
半ば感心し、半ば疑はしさうに、彼は指を自分の眼に向けてみた。
さう、とりとめもない感慨にふけつていた房一は、ふと、坂路のずつと上の方でごく小さいピカリと光るものを感じた。自転車で誰かが降りて来るのであつた。それはかなりな速さで茂みの間に現れ、又見えなくなり、やがてまつすぐに見通しのきく曲り角のところに、はつきりと大きく現はれた。銀鼠色のかなりにいゝ品らしいソフト帽が見えた。その下に光る眼鏡、面長な白い顔、ペタルの上で、ブレーキを踏んでいるチョコレート色の短靴。――
「私もこれで元は法律書生でしてね。司法官か弁護士試験でも受けるつもりで、神田の私立大学に通つていたもんです」
「今晩、寄せてもらつてもえゝですか」
「ふうん。気楽な身分だね」
かうして、びつくりするほど冴えた、明い日がやつて来た。いや、それは昨日も一昨日もその前も、かういふ日がつゞいていた。だのに、やはり、今日又新しく特別にとび切りにやつて来たとその度に思はせるほどの快い日だつた。どこもかしこも透き通るやうで、はつきりし、乾いた空気がふはりと頬のあたりに触れ、どこからかつんとする気持のいゝ山の匂がやつて来た。
「さあ。どうぞ、どうぞ」
「君に云つとくが、何んだぜ、小倉組の者なんかにかゝり合ひをつけちやいかんぜ」
「うん、あの程度だと別に影響はないんだらう」
「きさまか、鬼倉ちふのは」